自分で自分がめんどくさい

開き直りニートの日常 in メルボルン

最近「大人になったなあ」と感じた瞬間

子供の頃思い描いていた「大人像」と実際の今のわたしはだいぶかけ離れているな~と思っていた。

大人だけどできないことも多いし、どちらかというと「大人のふりして暮らしている」という感覚がある。

でも最近ふいに「大人になったなあ」と思った瞬間があった。

それは、かさぶたが自然にはがれるまでいじらなかったときだ。

子供の頃はいじりたくてたまらなくて、自分ではがしてしまうことが多かった。

そのせいで膝小僧のケガからバイキンが入って歩けなくなったことまである(幼稚園の頃の話)。

だが、大人になった私はいじりたい気持ちを抑えて、自然にはがれるまで待つことができるようになったのだ。

これは理性が本能に勝ったということではないだろうか。

なんて理性的な大人なんだと思った。

(そもそも大人はかさぶたができるようなケガをしないのかもしれないけれど)

ただ夏が来るたびに、虫刺されをかきむしってしまうので、次の大人の階段はそこだと思う。

無意識のうちに大人の階段を少しずつ登れているんだと思うと、少し自信がついたそんな瞬間だった。

わたしの青春の地 ZOZOマリンスタジアム

わたしは高校生になって初めて吹奏楽部に入ったのだが、それは野球応援をしたかったからだ。

私の高校は野球部が強くて、甲子園出場経験もある(わたしはない)。

コンクールで成功するよりも、甲子園に行くことの方ががわたしの夢だった。

 

千葉県では高校野球の県大会の準決勝からは、ZOZOマリンスタジアムで行われる。

ZOZOマリン行きが決まるとみんな喜んでいたし、わたしもその一人だった。

高校1年生の夏は、惜しくも準決勝に行くことができなかったのだが、高校2年生と3年生の時は準決勝まで行くことができた。

準決勝で敗れた帰りのバスで、差し入れのおにぎりを食べようとした時「あとで何かあるかもしれないから、今食べないほうがいいかも」と先輩に止められた。

なぜかというと、わたしの学校では準決勝まで行くと「お疲れ様会」が開かれて、学校側がお寿司やピザを用意してくれるのだ(さすが私立。そこは手厚かった)。

先輩はそのことを詳しくは教えてはくれなかったけど「何かチャンスがあるかもしれない」と思い、制服のポケットにスマホを忍ばせた(放課後はスマホ使用OKの学校だった)。

そんなわたしの察し力のおかげで、当時人気のかっこよかった先輩と写真をとることができた(ナイス当時の自分)。

 

この「お疲れ様会」は次の年(高校3年次)も開かれるのだが、プライドで同級生に写真やサインをお願いする気にはなれず、「お寿司食べ係」として後輩たちを生暖かく見守っていた。

「寿司は私にまかせて行ってきな」と。

わたしの高校の野球部は、プロ野球選手にドラフトされることがあるほど強豪だったので、後輩たちの間では学校配布のキャップやTシャツに、サインをもらうというのが流行っていた。

私の同級生の一人が、のちのちプロ野球選手になったので、変な意地をはらずにサインをもらっておけばよかったと今は思う。

 

話は戻るが一緒に写真を撮ってもらったかっこいい先輩のことは、その後も何かと「会えたらラッキー」というように憧れの存在であった。

その先輩には彼女がいたので、特にどうなりたいということもなかったのだけど、卒業式前に事件が起きた。

受験シーズンの1~2月の間は、3年生はほとんど登校しないので、卒業式前に久しぶりに先輩を見ることになった。

夏の県大会の時は坊主だったのが、卒業式前には髪が伸びてクルクルパーマになっていたのだ。

天然なのかパーマをあてたのかわからなかったが、それがまあ似合っていなくて、全然かっこよくなくて、第二ボタンをもらいに行く気も失せてしまった(もとよりそんな勇気があったかは不明だが)。

その当時は推しの消失にショックを受けていたのだが、今となってはそんな思いでも含めて青春だったなと思う。

エンターテイメントを自給する

前日亡くなった森永卓郎さん著「森永卓郎流 生き抜く技術」に書いてあった。

「エンターテイメントは自給できる」

「教養を身に着けること自体が一種のエンターテイメント」

どういうことかというと。都心はディズニーランドや舞台など上質なエンターテイメントであふれている。

それらが上質なのは、それだけお金がかかっているからだということ。

これらの上質なエンターテイメントは、教養がなくてもみんなが楽しめるけれど、お金がないと楽しめない。

一方教養さえあれば、お金がなくても余暇を楽しむことができる。

例えば、植物や生き物や雲の名前を知っていれば、散歩するだけでもエンターテイメントになる。

図書館で借りた本で読書をする人は、自らの教養でエンターテイメントを生み出している。

というような話だ。

 

わたしは1年間東京暮らしをした後に、メルボルンに移住してきた。

メルボルンはオーストラリアの中では大都市ではあるが、東京に比べると小さな街だ。

東京と比べてエンターテイメントは少ない。日本のように気軽に他の都市に旅行に行くこともできない。

そんな中だからこそ、ブログやラジオ、絵、お散歩などお金をかけない趣味を見つけることができた。

なので「エンターテイメントを自給できる」というのは理解できる。

メルボルンにいる日本人たちがたびたび「メルボルンに飽きた」というのは、”東京的なエンターテイメント”を期待してきたからではないだろうかと思う。

 

自分の工夫でメルボルン生活を楽しめてはいるが、一方で一生メルボルンに住みたいとは思えない。

なぜなら上質なエンターテイメントは、教養を身に着ければ身に着けるほどより楽しむことができると思うからだ。

わたしは風間俊介さんが好きなのだが、ディズニーオタクの彼がディズニーについて語っている姿を見るのが好きだ。

ディズニーはいろいろな背景から作りこまれており、教養があればあるほど世界観を楽しむことができるのだ。

わたしには、上質なエンターテイメントも必要だ。

上質なエンターテイメントも摂取することで、自分の趣味である創作をさらに楽しむことができるからだ。

お金をかけない趣味とお金をかけられた上質なエンターテイメント。

結局はそのバランスが大事ということなのだと思う。

やっぱりわたしは田舎に定住することはできないと思ってしまう。

新鮮なインプットがなければ、アウトプットも成長しないからだ。

シティ派?サバーブ(郊外)派?

オーストラリアは、シティ(中心部)とその他サバーブ(郊外)に分かれる。

当然シティやその近くに住むと家賃が高くなるし、シティから離れた郊外になるほど家賃は安くなる。

わたしはそのシティ内のタワマンで暮らしている。

家賃は週約35000円。まあバカ高い。

これが同じような条件であれば郊外では、週約2万円ほどで住める場所もある。

ただその分交通費や通勤時間がかかってしまう(オーストラリアでは交通費は給料に含まれない。シティ内のトラムは無料のためシティでは交通費がかからない)。

シェアルームであればもっと安くなる。

これはその人の価値観・経済状況によってそれぞれが決めればいいことなのだが、まれに人の家賃について口を出してくる人がいる。

私の場合、「家賃が高すぎるのでそんなところに住むなんておかしい」とか「郊外であればもっと広い家に住めるのに損している」ということだ。

正直余計なお世話だ。

 

そんなこと言われたらわたしにだって言い分がある(実際に言い返したことはないけど)。

正直1年しか住まないのに、シティ近くに住まないのは機会損失だと思う。

ワーホリにはそれぞれ目的があるのだと思うが、人が集まったり、イベントが開かれたり、観光に出かけたり、そんな機会を楽しむためにはフットワークを軽くする必要があると思う。

私の場合、性格的に外に出かけることに面倒くさくなるタイプだ。おまけに体力もない。

せっかくオーストラリアまで来ているのに、外に出かけない理由を考えて、家でYoutubeを見てしまうかもしれない。

しかし、すぐに出かけられる距離で、交通費もかからない、歩いていけば混雑するトラムに乗らなくても済む。そんな状況であれば、気軽に出かけられるのだ。

そういう機会創出のために、高い家賃を払うのは合理的ではないだろうか。

もちろん郊外が好きな人は郊外に住めばいいと思う。

そういうイベントじゃなくて、ホストファミリーやシェアメイトとの時間を割きたい。ファーム暮らしを体験したい。きれいな海のそばで暮らしてサーフィンしたい。

全然良いと思う。

しかしメルボルンを選んだ人でそういう人は珍しい。

何より人の生活に口を出す筋合いはないのだ。

自分の選んだ道を正当化するために、他人の選択をさげすむのはやめてほしいと思うのだ。

3.11

千葉出身のわたしが、3.11当時の様子を振り返ろうと思う(千葉は震度5強くらいだったと思う。

被害にあわれた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

ちょうど14年前の今日、わたしは高校受験に失敗して悲観にくれながら、春休みの1日を近所の友人の家でダラダラと過ごしていた。

地震が起こったとき、友人と3人でテーブルの下に隠れていた。一人は泣いていたが、わたしはそれほど大事とは思わなくて、「こんな大きい地震初めて!」と少しワクワクしていたくらいだった。

実感がわいたのは、その4~5時間後で家に帰ってからだ。地震直後は、津波についての報道はそれほどされていなかったからだと思う。

夕方になって、余震も落ち着いて、友人の弟を小学校まで迎えに行くタイミングで、一緒に家に帰ったのだ(今思えばここで帰らなければよかった)。

家に帰っても家族はみんな外出中で、自分一人だった。

家族みんな電車が止まって、それぞれ帰れなくなっていたのだ。

ニュースで津波で流されている人や建物をみて、やっと事の重大さに気が付いた。大変なことになってしまったのだと。

阪神淡路大震災のときはまだ生まれていなかったので、それが人生最大のショッキングなニュースだった。今考えても、後にも先にもこれ以上のニュースはなかった(コロナは次点)。

どのチャンネルも津波の映像ばかりで、一人だったわたしは急に恐ろしくなってしまった。

一人でいるのが心細くて、大嫌いな祖父に安否確認の電話をするほどだった。

大学生の兄が2駅先のバイト先から歩いて帰ってきたのは、22時頃だったと思う。

母がパート先からタクシーで夜中に帰ってくるまで、兄と一緒にリビングで過ごした。

父は会社に泊まってその日は帰ってこなかった。

以上当日はこんな感じに不安な1日を過ごした。友人と一緒に過ごせたのは不幸中の幸いだっただろう。

 

当時わたしは卒業式も終えていたので、高校入学までただダラダラ過ごす日々で、特に影響はなかった。

しばらくテレビが震災の報道だらけになって、暇をつぶせなかったくらいだ。

影響があったといえば、高校入学したあとの自粛ムードだろう。

私の高校は県内でも有数のすべり止め校だったので、千葉県の広い範囲と、隣県(茨城、埼玉、東京)から生徒が集まっていた。

当時浦安では液状化現象があり、水道が止まってしまったり、苦労されている生徒もいた。

ただでさえみんな志望校に落ちてきたのに加えて、震災でオリエンテーション合宿が中止になったことで、かなりどんよりした空気だった。

こうやって書き出してみると私の体験なんて、被害にあった方々に比べれば、たいしたことはなかった。

それでもこれだけ覚えているほど、衝撃的ではあった。

 

しかし、日本国民全員がわたしと同じように感じているわけではないというのを大人になってから知った。

わたしは社会人になってから5年ほど大阪に住んでいたのだが、3.11の話をしたときの反応は地元の人のそれとは違っていた。

彼らにはわたしのような体験すらないので、印象がそれほど強くないのだと思う。

それよりも周囲から聞かされる阪神淡路大震災のことの方が、身近でインパクトが大きいのだと思う。

まるで遠い国の自分には関係ない話のように、流されてしまったのを今でも覚えている。

すごく悲しかった。

むしろ海外の人の方が地震に慣れていない分、恐ろしく感じるのかもしれない。

 

震災から約5年後、大学生の時に仙台やいわきに旅行で行ったとき、海辺の震災の爪痕を目にした。その時わたしは、楽しい大学生活を送っていて、すっかり過去のことになっていたけれど、でもまだ被害は残っていて、なお復興は続いているということを知った。

まだ全然、今だって全然終わっていないのだ。今でも苦しんでいる人がたくさんいるのだ。

 

わたしのこんなちっぽけな体験を人に語るのは、本当に大変な想いをされた方々に対して失礼ではないかと思っていた。

それでも当時のわたしが実際に大きな地震を経験して、目にした光景はうそ偽りない。その感覚は今でもよく覚えている。

当時の感覚を風化させないで、未来につなげていくためには、やはり伝えていく必要があると思う。

”語学留学先”としてオーストラリアをおすすめしない理由

留学先としてオーストラリアをおすすめできない理由は二つある。

一つは、英語のアクセントがきついこと。日本で習ってきたアメリカ英語とは違うので、最初は戸惑う。今後お仕事などで英語を使う場合はデメリットになる。

二つ目は、日本人留学生が多いこと。

特に今の時期、春休みに短期留学に来ている大学生であふれている。

特に私の住んでいるメルボルンでは、シティ内を歩けば、日本人にあたる。そこかしこで日本語が聞こえてくる。

せっかく海外にいるのに、日本感がでてしまう。

最近これがわたしのストレスになっている。

 

先日職場に来た日本人の女の子がまあ失礼だった。

いきなり初対面で「ワーホリですか?何歳ですか?」と聞いて来たのだ。

わたしは正直言って気軽に年齢を聞いていい歳ではない。

日本でも海外でもいきなり年齢を聞くなんて失礼だ。

幸い日本人は若く見られるので、外国人の場合「若いね!10代かと思った」とびっくりされるので、気分がいい。

しかし彼女は、まだ21歳の小娘だ。そんな小娘に年齢を聞かれてうれしいわけがない。

なぜ彼女がわたしに年齢を訪ねたかと言うと、今短期留学中で、将来がワーホリがしたいらしい。何歳でワーホリするのがベストか知りたかったようだ。

それにしても聞き方っていうものがあるだろう。

先にそれを説明したうえで、「参考にしたいので教えてください」ならまだ答える気にもなる。

21歳なんてもう子供じゃないんだから。

なんと無邪気で無知でバカな子だったんだろう。

みなさんがわたしの立場だったら、どう答えますか?

わたしは「え~内緒です~」と流してしまった。

その場の空気を読んで、流してしまうのがいかにも日本人らしい。

イタリア人の知り合いは「なんでそんなこと答えなきゃいけないの?答える筋合いないよね?」というらしい。

わたしにはそんなこといえない。

だって食事を提供し終わるまで、気まずい時間が流れてしまうではないか。

他の友人は彼女のためを思って「そんなこと聞くの失礼ですよね?」と言うらしい。

そんなやさしさわたしには持ち合わせていない。相手を正してあげようなんて思えない。

あれはどう答えるのが正解だったのか今でもモヤモヤする。

 

もちろんもっとまじめて礼儀正しい大学生もいるのはわかる。

しかしこういうことがあると、「親のお金で短期留学なんて、遊びに来ているようなもので、そりゃ楽しいでしょうよ」と皮肉めいたことを思ってしまう。

オーストラリアには良くも悪くもいろんな日本人がいる。

ワーホリに来てその人たちと関わるのもおもしろいのだが、やっぱり「語学留学」としてはオーストラリアはおすすめできない。

台湾人の友人に聞いた徴兵制の話

時はさかのぼって、ワーホリ前にセブ島留学していた時の話。

仲良くなった台湾人から徴兵制の話を聞いた。

日本に住んでいるとなじみのない話だ。

台湾では20歳の全男子が1年間徴兵に行かなければいけないそうだ。

学生の場合は、卒業後に変更可能。

(コロナによって一時中断された)

センシティブな内容だが、せっかく仲良くなれたのだからこの機会に聞いておこうと思ってたっぷり聞いて来た。

 

徴兵の内容は主に訓練。有事に備えて、鍛えたり、武器を使えるようにしておく。

これはイメージできる通り、朝早くから開始されて厳しいものだったそうだ。

それに加えて、それぞれ部署に配置されるようだ。

わたしの友人はプログラマーで、大学でもプログラミングを勉強していた。そのため、徴兵時もプログラミング関係をしていたそうだ。

これはなんかイメージと違った。

たった1年間の徴兵で、そんな仕事を任されるなんて意外だった。

 

さらに意外だったのは、全高校2年生は銃の訓練を受けるということだ。

これは男子に限らず、女子も例外ではない。

有事の際には、男子のみならず女子も武器を取って戦う可能性があるということか。

おそらく自衛目的で、前線にでるという可能性は少ないと思うが、台湾では女子は必ずしも非戦闘員ではないということだ。

女子だからと言って、戦場において武器を持つものは戦闘員として扱われるだろう。

これは興味深い。

 

というのは、台湾での”有事”というのは、基本的に「中国が台湾に攻めてくること」を指す。

それを見越して70年以上前から、徴兵制度が続いて来た。

ロシアのウクライナ侵攻があった昨今では、これは非現実的な話でもない。

 

友人に「本当に中国が攻めてきたらあなたは戦うのか?」と聞いてみた。

友人は「もちろん戦争は避けたいし、話し合いで解決できるならその方がよい。しかし、向こうが攻めてきたら仕方がない」と言っていた。

これはどこまで本気かわからないし、いざとなったら逃げるかもしれない。

しかし侵略される側の気持ちとしては、こう考えるしかないのだろう。

 

徴兵制といって一番に思い浮かぶのは、韓国ではないだろうか。

KーPOPアイドルたちが、徴兵に行くニュースをよく目にする。

当然北朝鮮と休戦中であり、いまだ戦争が終わっていないからだろう。

そう思うと日本の周りの国には、徴兵制がある国が多い。

日本だって例外なく、いつ何が起こるかわからない国際状況だ。

もちろん徴兵制を導入するべきと言っているわけではないが、危機感が必要ということだ。

 

日本のパスポートは最強(ビザなしで多くの国に入国できる)なのに対して、その保有率はわずか17%だ。

これではなにかあったときに国外脱出するのは難しい。

平和ボケすぎる日本人は、有事に備えた行動をとるべきではないだろうか。