自己肯定感についての話。。
わたしは学生時代の友人に「ポジティブになったね」と言われるくらい、マインドが変わった。
大学生までは自己肯定感が低く、ネガティブな人間だった。妬み嫉みだらけで、自分のことが好きではなかったし、恋愛もこじらせがち。
それが今では自分大好きで、自分のことを世界で一番愛している。
優先順位は自分の気持ちに従ってつけるし、セルフラブの精神を大事にしている。
自分の好きなことは何か、自分が何を大事にしているか、自己分析を続けて、自分を愛する努力を続けている。
それもこれも社会人になって一人暮らしをして、一人の時間をたくさん作れるようになったからだ。
もちろんこれは一人の時間が好きなわたしだからできた結果であって、すべての人に当てはまるものではないと思う。
でも周りで自分のことを好きになれない、大事にできない人をみるともどかしくなってしまうことがある。
ただ人の性格を変えるのは難しいし、わたしも誰かに言われたから変われたわけではない。
一人時間をつくることでよいのは、他人の評価に縛られないことだ。
家族や恋人、友人に依存してしまうと相手の評価が気になって、自分のことを見失ってしまう。
多くの人は友人や知人との間では、程よい距離をとれているのではないだろうか。
一番やっかいなのは家族と恋人だ。
わたしはいまだにこの二つが怖い。この二つによって自分の心のバランスが崩されてしまうのではないかと思ってしまうからだ。
特に家族とは物理的な距離が必要だと考えているので、今の距離感は心地よい。
大阪に住んでいた時もほどよい距離感だった。
しかし、去年東京に住んでいた時は距離が近すぎた。わたしは親が死ぬまで首都圏にはもう住めないのかもしれない。大阪が好きでよかった。
恋愛も同様でわたしは相手に依存しがちだ。相手に依存して自分を貫くことができない。軸がブレッブレになってしまう。
これに関しては相手が悪かったと後になれば思うけれど、そんな相手を選ぶ自分に問題があるのではないかと思ってしまう。
とにかく見る目がないのだ。なので自分の恋愛に関しての直観は一切信用しないようにしている。
私の好みの見た目は「悪人顔」だ。悪人顔の人がみんな悪い人だとは思っていないが、人相に人の内面が表れるともいうし、比率的にはずれをひく確率が高いのだろう。
大昔、この人かっこいい!と好きになったのは、押尾学だ。なぜだかわたしの好きな芸能人はほとんどが逮捕される。
こういうわけなので、やりたいことがあるうちは恋愛をしたくない。今の理想は40~50代になったときに人生のパートナーを見つけることだ。
燃え上がるような恋愛や大好きな人じゃないほうがいいのかもしれない。人間として好きだったり、ライフスタイルが合う人と余生をともにする。そして犬猫を愛でて生きていくようなおだやかな生活をおくりたい。もはや恋愛感情などなくてもいいのかもしれないとさえ思う。
それまではセルフパートナーとして、自分ファースト。自分を愛でて生きていこうと思う。