自分で自分がめんどくさい

開き直りニートの日常 in メルボルン

逃げるは恥だが役に立つ メルボルンへの逃避行

わたしがメルボルンにワーホリをするきっかけになったのは、友人の影響だ。

大阪時代に趣味を通して出会った4歳年上の女友達。

ある時彼女が音信不通になったのだ。

わたしだけでなく、共通の友人たち全員が彼女と連絡が取れなくなった。

1年くらいしたある日彼女が久しぶりにインスタのストーリーに投降した写真から、メルボルンにいることがわかったのだ。そのあと彼女から直接連絡があり、現在ワーホリをしていることが確定した。

離婚を機に精神的にまいってしまって、連絡ができなかったと。決してわたしのことを嫌いになったわけではないと。メルボルンに移住して回復でき、そしてまた会いたいと言ってくれた。

わたしは彼女に嫌われていない自信がなぜかあったので、いつか彼女のほうから連絡が来るとは思っていた。だけどメルボルンにいるなんてびっくり。

確かにずっと前にワーホリにいきたいといっていた。若くして結婚したことを後悔していた。

でもそんな遠くにいるなんて!嫌がられてもなにがなんでも会いに行ってやる!

と思い、共通の友人とオーストラリア旅行を決行した。

するとまんまとメルボルンに恋してしまったのだ。

グレートオーシャンロード 十二使徒

学生時代まで留学なんて全然興味がなかった。むしろ海外かぶれの日本人たちを下に見ていたほどだ。

英語の勉強は受験のための手段だったし、決して楽しいものではなかった。必要だからしていただけ。

海外に興味を持ち始めたのは、大学四年の時に行った日中友好協会主催の北京・成都訪問がきっかけだ。

海外っておもしろい!アジアのカオスな感じにもっと触れたい!

そう思って卒業旅行は、タイ、フロリダ、バリに行った。

ただ海外に住みたいとまでは思っていなかった。

それがいつからだろう。いつか海外に住んでみたいな~とぼんやり思うようになったのは。

たぶん自分自身が本当に幼いころ、父親の仕事でドイツに住んでいたことがひっかかっていたんだろう。きっと家族の中でわたしだけ幼すぎてそのころの記憶がないのが悔しいんだ。

あとはコロナで海外旅行に行けなくなった反動だろうか。

当時は駐在妻になって他人の力で楽に海外に住みたいな~と思っていた。

それが彼女の話を聞いて、そんな人任せの夢見てないで、自分の力で切り開ける道があるのか!と急に現実的な話になった。

30手前女特有のよくわからない世間のしがらみとかそういうのが全部解決するかもしれないなと。

メルボルンは特に移民が多いし、いろんなバックグラウンドを持った人の意見を聞いて、自分が楽になれるんじゃないかって。

もともと常日頃から仕事をやめたいと思っていたし、ただ口実がなかっただけで。

 

そう、わたしはただ楽になりたかっただけなんだ。

実際こっちに来てみていろんな人の意見に触れて、どんどんやりたいことがわいてきて、急に意識高い系になってしまったのだ。理想ばかり高くなってしまった。

それで自分の首を絞めてしまっていた。

それじゃあ日本にいるのと同じじゃないか。

ワーホリに正解なんてない。こうやってブログをはじめようと思ったのも進歩。

自分を許してあげよう。

シドニーのブルーマウンテンズ